婚活コンサルタントの人生vol.1|人を愛する自信がない10代

こんにちは。今年も、残るところあと2日間となりました。

年末年始まで、婚活のハウツー記事を書くのはなんなので、気軽に読める記事を書こうと思います。

なにかって言うと、私、婚活コンサルタントイチハラ自身の結婚の話です。

カウンセリングをしていると、たまに自分自身の話をすることがあるのですが、結構驚かれることが多いんです。

例えば

結婚式をしていない、とか、両親顔合わせをしていない、とか、未だにお互いの両親は会ったこともないとか。

もともと結婚なんてする気がなかったり、誰かと住むことができる気がしなかったとか。

そもそも人を愛する自身がなくて、いつも恋愛をはじめては逃げ出していたり

婚活の仕事をしている人=結婚はすばらしい!と考える保守的な考え方の人が多いと思う方が多いようなので「意外でした〜!」と言われます。両親が会ったことないってのは、ひかれることもありますけどね(笑)

ということで、私自身の結婚に至るまでの人生を書いていこうと思います。

人のことを愛する自信がなかった

書こうとはしたけれど、何から書けばいいのかよくわからないのですが(笑)

とりあえず過去の自分の恋愛についての態度を話すと

恋愛中毒のくせに、人を愛する自信がないめんどくさいやつでした

愛されたくてたまらないのに、深く人と関わることを恐れているタイプ。

よく漫画や小説に出てくる、明るく見えるのにちょっと病んだ女。実際にも、結構いますよね。

その理由を遡ると、かなり昔になります。文章として書くのは初めてなので、ちょっと勇気がいるのですが、わたしの10代・20代の中心にあることなので書いてしまおうと思います。

中学3年生の時、母が死んだ

わたしの母は、私が中学3年生の終わりの時に死んでしまいました。中学一年の夏の初めに入院して、その後入退院を繰り返したのちに、死。初めは卵巣癌、最後には全身転移していました。

母を最後まで愛し、求め続ける強さが自分になかったこと、母が死ぬ前に私が母から逃げ出してしまっていたことが、私の自分自身への信頼のなさの根幹にありました。

この文章を書いていて、思い出すシーンがいくつもあります。

母のあたたかさ、この世から去っていく恐怖、そして母から逃げ出そうとする自分に呆然と固まる自分。

現実の世界がとても遠く、つくりもののようでした

死ぬ少し前に、母は自分のことを「アフリカの難民キャンプにいる飢餓の子どもみたいだね」と言いました。確かにそうで。やせ細っていて、目が取り残されたように大きく、腹水が溜まったお腹だけがパンパンに大きい。

モルヒネを普通の10倍以上打たないと痛みを逃れ、眠ることができない。

母を「巨神兵みたいだ」と思った自分

そして、母は病室の窓から飛び降りてしまいます。4階の部屋の小さな窓によじ登って、落ちた。

家で兄と料理を作っていた時にかかってきた電話でそれを知り。近所の人が車で病院まで送ってくれた。車内がトンネルのオレンジ色に染まる色を「私はきっとこの色をずっと忘れないんだろうな」と思いながら、見ていたのを覚えています。それは純粋に、というより、悲劇的な映画の登場人物を連想していた。

病室に入って、母と対面しました。母は死んでいませんでした。

2階の屋根に落ちたのです。高さがなく、死ぬことができなかったのです。

泣いていました。ごめんね、と謝っていました。

頬の肉はそげ、骨が出ていました。全身の骨が折れていました。

でも、生きていて。

「もう苦しくて、死にたいと思って、死のうと思って飛び降りたのに。屋根の上で、たすけて、たすけてと叫んでいた。おとうさん、おとうさん、とずっと呼んでたよ。」

死にたくなくて、必死で生き続け、それでも死ぬしかないことをやっと受け入れた母。その頃には、生きることがあまりに辛く、死を選んだ。でも、いざ目前に死が現れるととっさに生を求める自分がいる。

劇的な母。死にそうなのに生の塊のような母。

死に近い場所で、必死に生きる母の前にいたのに。

私の心は、そんな母から、全速力で逃げ出していました。

母の姿を、風の谷のナウシカの巨神兵と重ねてしまう自分がいて、恐怖だった。

単純に、母の姿が、恐ろしかった。目を逸らしたい気持ちで、でもそらすことができなくて、心が固まっていた。何て話せばいいかわからない。何て言えば母は、喜んでくれるんだろうと、ロボットのように考えて。

世界に、重低音が鳴り響いていた。重低音に苦しんでいたら、誰かが、逃げ出している自分を許してくれるような、そんな気がしていたなぁ。

私の愛は、結局は私にしか向いていない

母が飛び降りてしまったことは、周りには伏せておくことになりました。

でも、私の人生の中で、このことはとても大きいものでした。

それは、母が飛び降りたことよりも、そんなふうに母が、生きること、死ぬことと向き合っているのも関わらず、自分が母から逃げ出していた、という罪悪感からです。

私は、母がとてもとても、とても好きだった。

それなのに、母の人生の最後、とても大切な瞬間に、私は母を求めなくなった。

母が死にそうなのに、中学は普通に楽しいし、友達とも一緒にいたいし、好きな男の子がいてその子に告白までしていた(フラれたけど)。母に向き合うのは苦しいけど、日常は普通に営める。

これはどういうことなんだろう、と。

私は、母を本当に愛しているんだろうか?

母を、ではなく、母が私に与えた、安らぎや優しさ、楽しさを愛していただけなのでは?

母自身のパーソナリティーは癌になったって、もちろん変わらないし、そればかりが医者が奇跡だと驚くほどの生きる力で、何度も死の淵から生還する姿は、本当に尊敬すべきものだったと思う。

それでも、私は、母が怖くて、辛かったのだ。

(そのことに多分、母は気づいていて、時々悲しく感じていたと思う)

母の心臓が止まった時、私は、ほっとした。

もう、私は、母がいつ死んでしまうのか不安に思い、苦しまなくていい。

母が死んだ後の、春休みも、私は友達と遊び、高校に入学して、恋をして、遊んだ。

こう書いていて仕方ないじゃんという気もしてくるし、当時も仕方ないよねとも思っていました。

でも、それが仕方ないとなると、愛ってなんなんだ、となる。

「やさしさをや安らぎを与えなくなった母から逃げ出して、死にほっとした自分は、旦那さんが職を失っって別の男を探しだす人とどう違うんだろう。でもさ、みんなそういうもんだよね。愛って、結局、与えられるものをよろこぶもんだよね。与えるのを喜んでるように見えたって、それは回り回って、自分のメリットになるからでしょ。結局、人は自分の快感に向けてしか、動けないものなんだ。」

なんてことを、神戸のニュータウンに生きながら考える女子高生でした。

そうしながらも、陽気で、馬鹿で、恋愛をして。

というのが、私の10代・20代の「愛」についての認識を形作ったエピソード。

どんどん、これがひねくれていくんだな〜。

あれ、気軽に読める記事のはずが、案外重い(笑)

この年末年始、続きを書いていくので思い出したら読んでみてください。